展示で心掛けたこと

初の個展も折り返しまで来ました。

たくさんの方々にお越し頂き感謝の思いでいっぱいですが、作品にかける想いを伝えることの難しさにも直面しております。

素材の話や技術的な話、制作意図、なぜこの時代にこれを作るのか。
まだまだ纏めきれない言葉たちが無秩序にツギハギされて口から出ていくような状態です。



その中でも一つだけはっきりしていることがあります。それは森岡書店でやる意味。

普段から日用品を制作している自分にとって、作品を見せるにはやはり器に潜在する魅力を効果的に引き出すために少しだけ非日常を演出します。
でもそれを極端にしすぎると一見かっこよく素敵な印象を与えますが、実際は日常で使うがためにギャップが生まれてしまう。

展示会場が何も無いただの空間の場合その時点で非日常なので、日常を意識してセッティングすることを意識します。説明的になりすぎない範囲で。


しかし今回の森岡書店。
"本"という日常との架け橋がすでに存在している。
暖かなライティングの下で珈琲を器に注ぎ、本を開いてゆっくりとリラックスした時間を過ごす。
各々でイメージしやすい環境がそこにあるのです。

こうなるととにかく器を本とともに置きさえすればいいように聞こえますが、ひとつ忘れてはならないのは森岡書店の本の配置や場の雰囲気がすでに非日常的な人を惹きつける空間になっていること。
あんな書斎を持ってる人ってそうはいないでしょう。

そして、そこに自分がどう合わせるかがこの場所でやる意味に直結するのではと考えたのです。


まず最初に注目したのは、無造作に重ねられた本達。
一見秩序がないように見えますが、よく見ると全てがバラバラではなく森岡さんなりのルールと、ここで開催される展示会ごとに移動され分散されながら再配置されている様です。
そんな偶然の積み重ねが日常における"机の上"にリンクし、本を手に取りやすい雰囲気を作っているのかも?と解釈してみました。

それを踏まえ自分もコップを適当に何個か重ね、本と本の間に混ぜ込むことで調和を図ることにしたのです。
ある程度のカテゴリーで分類し配置して、人が手に取ってまた戻す度に絶妙にズレていくことで次の人が手に取りやすい無造作な配置に更新されていくという。


本を読みたい人にとっては隣にワレモノがあるのは少し緊張してしまうようですが 笑。




次に着目したのは本のもつ資料的な側面。

本は情報を記録し繋いでいくもの。
何かを生み出す際には本から得られる情報を経由することが多い。
そこには歴史があり、構造があり、ルールがあり、因果があります。

鋳込みの器を扱う自分にとってそれに近いものは石膏型。
完成品である器という最終形態だけを見せるのではなく、本から歴史を読み解くように、石膏型という資料から器の成り立ちを読み取ってもらおうという試みです。

そしてそれを視覚のみの情報へと変換するために、ガラスケースに閉じ込め実際には触れられないようにしました。
写真集のそれと同じように。



博物館で鑑賞する時と同じように、この方がかえって目でじっくり観察することができるかと思います。

もちろん触ることで得られる情報もありますが、今回はあくまでも"本"の領域での在り方が大事なのでこの見せ方を採用したということです。



この他にも特注したライト用のスタンドも、元々は会場にライティングレールが無かったから作ったのですが、逆にこのスタンドこそが日常ではなかなか目にすることが無いため結果的に援護射撃することに繋がりました。






昭和2年建築の第2井上ビル。
大正時代の職人や建築家、時代性や価値観が反映された建物。



自分が作っている作品も偶然にも大正期から昭和初期における西洋文化と日本文化が激しくも華麗にぶつかりあって生まれた様々な家具などの調度品や建築物、日本人には浸透したてのアール・デコ調のデザイン、要するに"大正ロマンや昭和モダン"に刺激を受けています。

しかしそれをただリバイバルするのではなく、歴史的に短期ではあるけれど重要なその頃の思想や価値観、テイストを現代人としてどう解釈し引き継ぎ発展させていくのかを自分なりに意識して制作しています。


懐かしさと目新しさ、意外にもこんなシェードって無かった?という再発見を、ソファーに座って本を片手に珈琲でも飲みながらたまに天井を見上げ再考してもらえたらという作意が含まれているのです。


上記のそういったことがこの建物と共鳴する結果になったのは偶然の産物ですが、今後の場所選びにも影響しそうです。
でもなかなかこんな場所も残っていないので、現代建築でのあり方も考えなければとも思いましたが。



ちなみに少し余談ですが、
時代を感じさせるためのアンティーク風とかエイジング、風化した様な表情を作為的に施すことは今は確かに喜ばれ自分もそういう作品をたまに作っては面白がった時期もありましたが、でもそれも100年後には製造年月日不明の「〜時代風」のものになり兼ねないことに気付き、あくまでも"新作 / 新品"であることが今の作家としては重要なのだと今回の展示で再確認できました。


骨董やアンティークの良さとは表面的なものではなく、その頃の時代性や価値観、様々な人の手で育てられ今に伝えられてきた重厚な歴史に魅力があるのだと思います。

それはそれ。これはこれと。

我々は"これ"を作る側の人間。

古い物の中に内在するエッセンスを摘出し、現代の作品に反映させて繋いでいくことは大事な使命だと思いますが本当に難しいことですね。




ちょっと書き過ぎました。
「展示会を終えて」みたいな文になってしまったので今回はこの辺で筆を置きます。

でもこれを読んでから会場にお越し頂くと、また違った読み方を皆さんにもして頂けるのではないかと思います。



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